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タロットカードの歴史2

え〜と、ですね。
タロットカードってどこから出てきたのか、大本ははっきり言ってわかりません。
エジプト説、インド説、中国説、などなどいろんな説があるのですが、イマイチ”真相”は解らないということが解っています。
もともとは遊戯カードだったとか、エジプトの秘儀を絵にしたものだったとか、いろんなことが言われています。

とにかく、なんらかのルートで西洋に渡り(このあたりをどーしても知りたい方は、最後にお勧め本を列記しますので、それを読んで納得して下さい)、今のタロットカードのもとになったのは、1415年にイタリアのミラノ公フィリッポ・マリア・ヴィスコンティさんのためにつくられたものだそうです(ちなみに、この方の子孫には今は亡きルキノ・ヴィスコンティという一世を風靡した映画監督がいます。私はかなりお気に入りでした。ハイ、余談です)。
見たい人はニューヨークかイタリアの美術館に行けば見れるそうですよ。

イタリアのお金持ち貴族の遊び感覚で作られたカードが、やがて下々の民たちに広がり、フランスに伝わり、”マルセイユ版タロット”として今もたくさんの人に愛用されています。

タロットカードはもともとは占いの道具でもなんでもなかったそうです。
ただのプレイングカードとして主に遊びやギャンブルなんぞに使われていたようなのですが、なんでそれが占いに使われるようになったのでしょうか?
まあ、ギャンブルもいわゆるひとつの当て物的占いみたいなものですけど。
ジプシーは15世紀後半ころ、タロットカードを手にしたときはハナから占いのために用いてはいたそうです。

中世ではカード遊びが一時禁止されていたこともあったそうですが、まあ、隠れてする人も当然のこといますよねえ。止めろと言われると余計にやりたくなるのが人の常。
そんな環境の中で、それでも、どっこい生きている!と人から人へと細々と受け継がれ、やがて大きく”占いツール”として羽ばたきだすのが18世紀。

深く静かに潜行していたタロットカードと、ある学者の出会いが今のタロット占いの体系を築く礎となったのです。
その学者の名前はアントワーヌ・クール・ド・ジェブランさんというフランスの学者で、私が勝手に想像するに、アントンは好奇心旺盛の知りたがり屋さんで、ミーハーな人だったんではなかろうか、と思ったりなんかします。

当時の巴里は空前のエジプトブームだったそうで、ジェブランさんは自分の数ある研究の中でも特に古代の儀式に関心が強かったらしく、もちのろん、彼のエジプト熱もすでに臨界点。
友人の家でたまたま見せられたタロットに、まんまと魅せられて”これだあ!。まさしく私が探し求めていたエジプトの秘密の書物だあ!”と叫んだかどうかは知りませんが、無理矢理タロットを”エジプト出自”にしてしまったのですよ。思い込みって、スゴイっ!

というあたりで、ちょっと疲れてきたので続きはまた明日。
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by miracleoracle | 2006-09-28 16:11 | タロットカード

タロットカードの歴史 第一章「ライダー版VSトートタロットー魔術師対戦」

昨今は大変な“占いブーム”です。
いろんな占い方法がありますが、タロットカードは“卜占”というジャンルに属します。
質問内容ははっきりさせるべき。あまり先のことを占うには適してない(私の感じではせいぜい1、2年内が限度)。遊び半分でもかなりの高い結果がでる(勿論、占う人のスキルによりますが)。など、人となりや一生を通しての運命的なことを観るには適していません。
ですので、私の場合は性格や気質や大まかな地球上での運命の流れなどは占星術を使います。
星の動きでかなり細かいことまで解る方もいるようですが、私はそこまでは解りません。
なので、二者択一問題や自分のそのときのとるべき方法などに行き詰まったときに使います。
それと、今は“月占い”と“前世占い”に使っていますが。

私のブログの画面上で使用しているカードは、世界中で最もポピューラーとされている“ライダー版”と称されているカードです。
これは1909年にアーサー・E・ウエイトという人がイギリスの”ライダー社”から出版したので、今だにそう呼ばれているのです。
このときにイラストを担当したのがパメラ・コールマン・スミスという美貌の画家ですが、100年近く延々とベストセラーであるにも関わらず、その時点で手にした原稿料はえらく少なかったそうです。今、生きてたら印税生活でウハウハものだったでしょうに。気の毒です。

 “タロット初心者はライダー版から”と言われるほどの人気の秘密は、彼女の手腕によるところも大いにありますが、なんと言っても“ライダー版”以前のタロットカードは大アルカナ(22枚)と各スート(棒、聖坏、剣、金貨)の人物カードだけが具体的な絵柄だったのを、このカードは小アルカナもすべて具体的絵柄とし、きちんとした理論構築をなし得たことで非常に解りやすく、かつ、使いやすいものになったのが人気の秘訣でしょう。

◎アーサー・E・ウエイトーパメラ・コールマン・スミス
 ライダー版タロットカード
d0081655_13193115.jpgウエイトさんは当時、イギリスの”黄金の夜明け団”という魔術結社のメンバーでした。
この結社は知る人ぞ知るところの、かつては隆盛を誇っていたまっとう(?)な組織でした。1888年の3月が創立の時でした。
この組織について話し出すと、えらく長くなりそうなので、はしょってしまいますが、興味のある人は国書刊行会から出ている“魔法大全1−黄金の夜明け”をお読み下さい。

で、とにかく、その“団”の中枢だったウエイト氏は組織の柱であるカバラの教えに基づいて、タロットカードを“学術的”に体系化したのです。
彼は、写真の印象から言うと“学者タイプ”です。
それゆえ、タロットは“単なる占いのための道具ではなく、もっと崇高なものである”みたいなことを言っていたようです。
勝手な人物評をさせて頂くと、そんな“戯れ言”を言わしめた背景には、彼の一種独特なインテリジェンスと、当時の“占い師”たち&“占い好き”の人たちに対する感情がイマイチしっくり来なかった部分もあったのではないかと推測されます。しかし、魔術や占いは大好き。だから芸名で俗な占い本も書いていたとか(いくら魔術師と言えども、カスミを食ってる訳ではないですからねえ)。
かなり複雑な気質の持ち主だったのでしょうなあ。

そのころ同じ組織にいた“トート・タロット”の作者である20世紀最高の魔術師と言われたアレイスター・クロウリーとは、メチャクチャ険悪な仲だったようで、かたやクロウリーは“ええし(大阪弁で言うところの金持ち)のボンで男前の遊び人風”。堅物でそこそこ俗っぽいくせに学究肌、私生児で苦労人だったコンプレックスの塊(失礼!)みたいなウエイトとはまさに“水と油”(私に言わせればお互い両極において大変な相似形、故によけいに腹立たしき存在)、コブラとマングースみたいな間柄だったみたいで、クロウリーとしてはこのカードに俄然対抗するべく、独自のタロット理論を討ち立て、宣戦布告したのです。

ライダー版出版の3年後に自分の組織(すでに黄金の夜明け団は脱会)“銀の星”の機関誌に“トートの書”というタイトルでタロットの理論を発表したのですが、実際に絵が出来て一応完成という形で発表されたのが1942年の7月。すでにその2ヶ月前にウエイトは死去。見たくもない宿敵の完成された作品を目にせず、亡くなったのは良かったのか、どうかは解りませんが。

どちらも酒飲みだったそうで、“魔術結社”というフィクションみたいなシチエーションを背景に、素面なのか酩酊状態なのかはいざ知らず、とにかく本気で“魔術決戦”を繰り広げている様は客観的に見ればまるで子供の喧嘩みたいで、個人的には非常に面白い。ハリー・ポッターも真っ青!じゃん。

クロウリーの“トート・タロット”のイラストを手がけたのはレディ・フリーダ・ハリスという、ちょっと“おばちゃん”の入った人なのですが、絵の方は現代アートと言っても忌憚のないほどの新しさとパワフルさ。

◎アレイスター・クロウリーーレディ・フリーダ・ハリス
 トート・タロット
d0081655_13204555.jpgフリーダさんのレディの称号は英国国会議員のパーシー・ハリス卿の奥さんでいわゆる良家の子女であったようです。
あまり美人とは言えない彼女は(性格はゼッタイお嬢だ)、たぐい稀な魔術師であるクロウリー教にはまってしまって、彼の言うがままに精一杯頑張ってこのカードの絵を完成させたようです。何度もの書き直しで疲労困憊した彼女は彼への手紙に“可能な限り、素晴らしいタロットを創るために、聖守護天使が私を動かしていると考えています”と乙女チックな台詞を綴っています。またカードの制作で疲れてしまったことが彼の嘲笑をかうのでは、とビビってたそうです。
それに対してのお返事には“あなたの天才的技術なしでは新しいタロットを制作するという、果てしなきプロセスに没頭することはできなかったでしょう。あなたが1枚1枚のカードが独立した傑作である、ということを私気付かせてくれたのです”なーんちゃって。
これって、なんだかラブレターっぽくないですか。
純真無垢な世間知らずのフリーダの心を弄ぶ希代の魔術師アレイスター・クロウリー。その危うさをウスウス感じつつも、敢えて心を溶かす彼の甘言に身を委ねてしまうフリーダ。なんかあ、ちょっと、ワクワクしませんこと。

ふ〜ん、フリーダという名前はどうも“熱情タイプ”みたいだなあ。1907年生まれのメキシコの女流画家であるカーロもフリーダという名前で“激しい”人だったみたいだし。今後“フリーダ”はチェック、チェック、だ。おっと、ほんの独り言です。こうしてイメージがあっちこっちに飛んで行くので
気をつけねば、いけません。
ほらあ、よくありません?部屋を整理しようと片付け始めるや否や、思い出の品とか、読みかけてた本とか、忘れていた写真とか、古い日記とかが目にとまって、気がついたらとっぷり日が暮れて、なーんも片付けられなかった、なんてこと。
私の、イメージはそんな風に、どんどん糸の切れた凧状態になって彷徨ってしまいがち。凧、凧上がれ、天まで上がれ、天まで上がると、そこは宇宙だ。宇宙の果ては一体全体どうなっているのだろう??? おっとー、ほら、また横道にそれていく〜。
5分で行ける距離が1時間かかるタイプです。それゆえ人生がいっぱい楽しめる〜。ルン、ルン。

もとい、クロウリーの最期に彼女は駆けつけ、彼の手を握りしめつつ看取ってあげたそうです。
クロウリーの伝記作家スーザン・ロバーツ著の“黄金の夜明けの魔術師ーアレイスター・クロウリー物語”からちょっと長くなりますが引用してみます。
『アレイスターが昏睡状態に陥ったことを知るや否や、レディ・フリーダ・ハリスはネザーウッド館に駆けつけた。彼女がクロウリーの側に座り、その手を握ったとき、彼が身動きして眼を開いた。彼女が彼の手をしっかりと握り、彼は顔を向けて彼女を見た。クロウリーはフリーダがよく知るあの謎めいた(!私のびっくりマークです)微笑を浮かべようと試みた。“私は当惑している”彼は囁き始めた。彼は嘆息した。・・・・・・・・・・・沈黙。
数分の後、彼女は彼の手を掛け布団の中にしまい込み、ジェラルド・ヨークに電話をかけるためにその場を離れた。それから彼女はジェラルドを待つ間、アレイスターの側に戻って静かに座っていた。死に際して、彼らは新たな下らぬ詮索から彼を守ってあげたかった』
このあたりも、ホント、宝塚の純愛物的場面です。

クロウリーという人はなにかと問題を提起した人でサマセット・モームの“魔術師”のモデルにもなったりしています(メチャクチャに描かれてます)。
賛否両論ありますが、なかなかにイケテルお人だったようです。

とにもかくにも、そんなふたりがやっとの思いで作りあげたタロットカードなのですが、実際にカードとして出版されたのは当人たちの存命中ではなく1969年だそうです。1912年に理論を発表、1930年代後半になってからカードとパックになったものを製作するというプランを立て始め、5年の歳月をかけ、1944年にやっとイラストレーションが掲載された“トートの書”という解説書を出版。そして、ついにカードとして日の目を見るまでに、なんと60年もの時がかかっているのです。ほとんど“執念”です。当時の印刷技術は今と比べると非常にお粗末で、せっかくの絵の良さもまったく出ていなかったようですが、美しく、精密な原画の良さは今の印刷技術で大きく花開いています。
それは、ふたりのタロットに対する“愛”と“想い”の結晶と言えるでしょう(フリーダはクロウリーに対する“想い”のほうが強かったのかもしれませんが、結果的に素晴らしい作品を後世に残せたことは良かった、良かった)。
強烈なインパクトのある絵なので好き嫌いは大いにあるかも知れませんが、必見の価値あるカードです。

と、“タロットの歴史”というよりは“タロットの裏話”みたいな話になってしまいました。
次回は、このふたつのタロット以前のカードについてお話したいと思います。
もち、裏話も取り混ぜてでーす。
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by miracleoracle | 2006-08-23 13:22 | タロットカード